本番アルバム

2013年6月8日土曜日

乙武氏のイタリアン騒動を受けて。ーおとな船長の理想の組織ー



こんにちは、おとな船長です。
来る児童館での本番に向けて、おとな船長はどのような組織作りをしようとしているのか、参加者にどのような関わりを求めているのか、もう一度共有したいと思いブログを書きます。

標題「乙武氏のイタリアン騒動を受けて」とありますが、ご存知ない方は「乙武 イタリアン」で検索して頂けたらと思います。
組織作りの話をするのに、なぜ乙武氏が?と疑問に思われるかも知れませんが、それは私が劇団フレフレ号の代表になった当初、障碍者団体で勤務していた事に繋がっています。

と言うのも、小学生の頃から演劇をやってきた私ですが、地元の社会人劇団や、私が参加した中では5つに満たない数のわずかな劇団以外はどこもトップダウン式で、代表兼演出家が一番偉く、その下に役者がいて、誰も文句を言わない、文句があっても愚痴で終わらせてしまう。そんな所ばかりでした。これは大学内の学生劇団も、ドサ回りの商業劇団も変わりません。(そうでない劇団がある事も確かですが、割合として少ないと思われます)

もともと私は、代表になるんなら出来る限り上や下がない、皆が意見をしあえる組織にしたいと考えていましたが、障碍者団体に勤務し、障碍を持っている人の権利問題に関わる事でより一層そういった組織が必要であると考えるに至ったわけです。

劇団フレフレ号の代表になった当時はそういった反骨精神ばかりが先行し、言葉が適切でなかったように思いますが、参加者からの指摘や、乙武氏の騒動の後に見聞きした人々の人権についての反応、また最近学んだユニバーサルデザインの設計思想から、自分の考えを発信し直す必要を感じ、標題を選び以下、皆さんの知恵をお借りしたい組織の在り方について書かせて頂きます。

私は開かれた組織を作っていきたいと考えてきました、開かれた?と言うのはどう言う事か。ここでユニバーサルデザインの登場です。

想像してください。誰もが公平に利用でき、安全で使いやすい公共交通施設があるとします。歩道とバスの床面の段差をなくし子供やお年寄りも楽に乗り降りできるノンステップバスが次々と発着する駅前広場のバスターミナルから駅ビルへは、屋根付きの歩道が設けられていて傘をさす必要がありません。駅ビルのエレベーターは、その広場に近く分かりやすい場所に設置され、車椅子に対応する十分な大きさがあります。改札には高さの異なる券売機が設置され、車椅子や大きな荷物を抱えた人が楽に通れるように幅の広い改札口が設置してあります。コンコースからプラットフォームまでには階段がなく、踊り場も組み入れた緩やかなスロープが続き、そのスロープには車椅子や歩行器の人を考えて高さが異なる2段の手すりが付いており、駅前広場には触地図のついた音声ガイドが設置され、案内標識がわかりやすく統一され、上記全てを確認する事が出来ます。

分かる人には分かると思いますが、これらは全て阪急伊丹駅のユニバーサルデザインについての解説であります。

誤解のないように言っておきますが、私はユニバーサルデザインそのものを持ち込むつもりはありません。ユニバーサルデザインは建築家のロン・メイス教授によって1980年代に提唱された考え方で「改造や特別のデザインを必要とせずに、可能なかぎり最大限に、すべての人々によって利用可能な製品や環境のデザイン」と定義されています。組織にそのまま当てはめる事ではありません。

私が注目したのは、ユニバーサルデザインの達成の為に、阪神淡路大震災で倒壊した阪急伊丹駅が、計画から建築のすべての過程に障碍者や高齢者、一般利用者の参加を求め、数多くの意見を実際に反映させることによって誰もが安心して利用できる駅を作ったという点です。

乙武氏の騒動とユニバーサルデザインの話題を持ち込んだのは、前者が結局「私もしくは店舗と私の問題だから」で終わったのに対して「あなたの問題は皆の問題だから」で始まったという二つを対比したかったからです。

私が嫌うのは、代表や演出家の手腕だけを頼みとした組織づくりで、そういう組織は上から下へは意見が通るが、下から上へは通りません、それだけでなく、外からくる意見に「私達の問題だから口出ししないで」という態度でいる事も出来ます、それは活動の継続の為には障害だと思うわけです。阪急伊丹駅のように、多くの人に参加し継続してもらう活動を行い、意見の交通が円滑に行われる組織の方が、世代を越えた活動の継続は望めると思うのです。

活動当初は意見の交通という意識はありませんでしたが、一見して上に見られがちな代表という肩書きのある私からではなく、とにかく参加する全員から「こういう活動をしたい」が出るのを待ちました。その中で生まれたのが「こども船長」や「劇団フレフレ号HP ブログ」そして「定期的な児童館でのWS」です。
その後も運営して行く中で、連絡時のストレス軽減の為に「FBとLINEの活用」が実行され、アナログ広報の為にと「フレフレ号通信」も生まれました。

これらは参加者の皆さんが、代表者の趣味や思想ではなく、児童や児童館と組織に参加する個人として向き合った結果と考えていますし、反対意見も遮られる事なく場に通りました。参加する全員が自分の意思を表明出来るこの形なら代表が変わっても、継続して創造的な活動が出来るはずです。

しかし問題も多く、私の計画性や運営能力なさ、概念を説明する能力の未熟さから、参加者に過度の負担を強いた事は間違いありません。

ギリギリになるまで抱えた悩みを相談出来なかったり、気軽に意見や行動が出来ないのは個人ではなく組織の問題です。

ここで、格好つけたがりの人なら「組織の問題は俺の問題!俺がなんとかするから皆ついてこい!」と言うんでしょうが、私はそこまで人に依存されたい欲求もなく、組織の問題はやはり組織の問題で、代表一人でなんとか出来るものではないでしょうし、参加者に「馬鹿にしてるのか!」と叱られそうでもありますから、皆さんの知恵をどうかー!と考えるわけです。

私は今後も活動の継続は押し付けるつもりはありません。しかし参加者の皆さんには消費物として、例えば「この劇団も限界だからあっちに移れば良いや」と扱われてしまうのは防がなくてはなりません。皆さんが嬉々として継続する為に意見を出して貰い、耳を傾ける。実行出来るかどうかは約束出来ませんが、まず意見してもらえるような場を担保したいなと思います。「今の自分のニーズには、この活動が合わなかったけど、いつか私のニーズに応えられる日が来たら教えてね!」と明るくやっていきたいですね。

児童や児童館と参加者が向き合える組織づくり、その間に余計な事情が出来るだけ挟まれないようや活動を行う為にも、皆さんドシドシご意見下さい。勿論どんな理由での参加でも構いません、結果として継続する事が出来れば、あの演出家さんと芝居を作りたいでも、お金を掛けずに芝居がしたいでも良いと思いますから。




雑記
乙武氏の騒動の時は、店と乙武氏の個人的な問題で終わらせずに、障碍者の権利問題や、それに対して行動が不十分な国に対して話題を広げて貰えたら、有意義でしたとメッセージを送りました。伊丹駅などは0から作ったので配慮が行き届いていますが、車椅子の人の利用を想定していない建物は多いわけで、家賃も発生するし工事費用も掛かるし、必要だけど実行出来ないこともあるわけですが、今までの価値観を乙武氏が問題提起し破壊してくれれば、店舗の負担少なく障碍者を受け入れる準備を整えられるのではないかと残念に思ったおとな船長でした。

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