本番アルバム

2013年2月19日火曜日

演劇クラブの思い出




こんにちは、おとな船長です。

どうしておとな船長は、児童館で演劇をしているの?

話は遡ること十数年前、おとな船長がこどもで、船長でなかった小学校の頃。

おとな船長の住んでいた地域にあった米沢市民児童会館演劇クラブに、親がいれてくれたのが、今も演劇をやっているきっかけです。そこで指導をしてくれたのは、おとな船長よりもっと年をとった五十嵐昭男先生という、その当時でもう、教員を定年退職して随分経ったおじいちゃんでした。

米沢市民児童会館演劇クラブというところでは、小学校4年から中学校1年まで。すっかり五十嵐先生のペースに載せられてリーダーのようになっていましたし、児童館会館演劇クラブを出てからは、五十嵐先生の作った(代表入れ替わり制の)社会人劇団に入りました。こちらは高校生の月会費が1000円あったかなかったか、大人の人たちに支えられて演劇をやらせて貰いました。

おとな船長は、演劇が好きだったのではありませんでした。

じゃあ何が好きだったの?

それは勿論、演劇を好きな大人たちと、学校では知り合えない人たちとの交流が好きだったんです。それに、親が嬉しそうに私と演劇はどうかと話をしてくれたからですね。

おとな船長はいじめられっこで、学校での居場所を作れませんでしたし、学校の先生は勉強以外の事は教えてくれませんから、居場所なんて自分で作るしかありません。

当時のおとな船長は、上手く物も言えなかったし、演劇をやって、大人の人たちと舞台に立たなかったら、きっと今のように人と向き合えなかったでしょうね。

児童館にくる子供たちは、あの頃のおとな船長とは全然違うように見えます。演劇以外にやる事が沢山あって、友達もいて、職員さんとも仲良しで、私達の方が何とかして、輪の中に入れて貰わなくてはいけないくらいです。

自分に自信が持てなかったり、誰かと向き合う事の出来なかったおとな船長のような子供は、まだ南大谷児童館で演劇の日が行われていることを知らないのかも知れません。私達劇団フレフレ号を知って貰う為にも、保護者の皆さんが「参加させたい」と心から思える活動を目指すと同時に、児童館で楽しく遊んでいる子供たちの間に、「俺たちは、もっと面白い遊びを知ってるんだぜー!げひ!」と真面目に入っていけるよう努力していかねばなりません。


回を重ねる毎に、児童館職員さんと、児童、当然ですが劇団フレフレ号メンバーの繋がりが変化してきています。

今週末23日、24日と脚本会議や演劇の日があり、てんやわんやですが、是非今年の活動にもご期待くださいますよう、よろしくお願い致します。

写真は「となりのトナリ」の演出を担当した佐藤さんの作品に出ているおとな船長の舞台衣装ですよ。

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