本番アルバム

2013年9月30日月曜日

おとな船長が 国際演劇交流セミナー2013 《ドイツ特集》 演劇人のためのブレーンストーミング~新たな創作環境を切り開く~ に参加してきました。

http://artlier.jp/event/theatre/2013/08/25_2013.html

東京会場でのセミナーで、ユージン・オニールの「夜への長い旅路」という5時間近い戯曲を、ドイツで活躍するマルコ・シュトアマンと共に考察してきました。これはいわゆる受講ではなくて、参加者全員が、それぞれの視点から積極的に意見を交換しあい、考えを深め合うというものです。この中でドイツに留学し児童演劇を学んでいた演出家さんなどと話をすることもでき、劇団フレフレ号の活動を行う私が、どのように周囲を巻き込みたいのかについて理解しました。

以下、印象に残った言葉や事柄を列挙

・人間がしなくてはいけないことは二つ「生きなくてはいけない」「死ななくてはいけない」それ以外のことはしなくてはいけないことではない。

・劇場に行くからには何かを体験したい。体験とは何か?それは期待を裏切られること。期待と舞台のその差こそが体験。(期待とは?)

・マルコが最終日にプレゼンしてくれた上演案が、一軒の家を建て、観客を一人ずつ通し歩かせ、iPhoneや美術館の音声ガイドのようなものを使う案であったこと。演出家が俳優を通さずに観客と繋がろうとしていることに、共感した。

・劇団フレフレ号も、「演劇」に囚われてはいけない。児童館や参加者と話し合い、「しなくてはいけない」と思い込んでいることを整理し「したいこと」を共有しあう必要がある。

・クモ型劇団(手足を切り落としても動けるが、頭を切り落とすと動けないあのクモ)のような形から脱却したいという空気と、それを行うには先陣を切っていける団体が必要なこと。私は劇団フレフレ号をヒトデ型劇団(ちぎっても再生し、いつまでも活動を続けるあのヒトデ)として進むよう努力したい。

・演劇は死んでいる という、演劇を見ない人達からの言葉と、マルコの「演劇は死んでいるのかもしれない」という、その言葉を受けて感じたこと。反発ではなく、受け入れる所から始め、「劇場に人が来ないなら、劇場が行けば良い」という共感できる気持ちから、非常にユニークな活動を行っていること。

・マルコと最初の日の夜に話した、演劇にしかできないことは?という質問への答え。「演劇は一人ではないということ」絵画や映画はその作品に没頭し独りになることもできるが、演劇は最低でも俳優と観客の二人が存在する。私は、そのことにとても感動したし、それこそが当たり前の演劇であると感じた。

・参加者たちが演劇をして手に入れたもの、という設問に、友人や仲間と回答していた。私も、演劇を続けてきた理由に「一緒にやろうと言ってくれる人がいたから」と答えた時、そうだった、いつもそうだったとしみじみ思った。そして演劇を通して手に入れたのは友人であり、フレフレ号の活動で児童館に行く時も、私は友人になりたい、また友人を得るきっかけになれば!と思っていることに気がついた。そして、それは演劇でなくても良い。


朝の4時まで呑みながら演劇の話を行い、風呂にも入らず眠りもせず、最終日に演出案を発表し、そんな自分を振り返ってみると、私は演劇で得たものが計り知れないと心から思える。今までのどの上演よりも参加者と深く交流することが出来、それは何より対立する意見をお互いに恐れることなく言い合い、自分の信ずるところや善であるところのものを、臆面もなく交換しあった為であって、私は稽古場のあり方や劇団のあり方、今後の継続の仕方すべてにきちんと疑問し、それを個人の問題とせず、児童館と劇団、そして参加する全員で考えるべきことであるとして発表しなくてはならない。

「しなくてはいけない」と思い込んでいることが、参加の負担を高めていく。「大変だけど、また参加したい!」 と言ってもらうために、まず話し合いの場に参加してもらう工夫を私がしなくてはいけない。私は友人に贈り物がしたい。

私の中にあるのは、児童館や参加者と対話し、友人になり、何かを贈るということ。劇団とこどもという線引き、内側と外側という線引きをしたくない。私が贈れるものをきちんと贈ることを私はしたい。プレゼンテーションするぞー。

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